踏み出す瞬間

「…で、何であなたまでいるんですか」
待ち合わせ場所について早々、尚樹はゆったりと口を開いた。
さめた口調が、あからさまに嫌がっている彼の心境をかえって強調していた。


幻影旅団だと知って、恐怖や嫌悪という感情を表さない人間はめずらしい。
実際、尚樹に会うまでシャルナークはそんな人間を見たことがなかった。
……なぜか団長は嫌われているようだけど。
きっと彼が何かやらかしたんだろう。
一人向かいの席に座ってコーヒーをすするクロロを見遣る。
そのクロロは、じと目でこちらを見ていた。
ちょっと優越感を感じたりもする。
「シャルさん、メルフォってどうやって設置するんですか?」
そんなシャルナークの注意を引くように、尚樹が袖をつんつんと引っ張る。
買ったばかりのパソコンの画面を覗き込んだ。
「ああ、それなら結構簡単に…」
以前約束していた通り、今日は尚樹の買い物に付き合っている。
電話が来たときは買い物の内容がパソコンだったから、シャルナークにお鉢が回ってきたのだろうが、普通ならもっと違う人を選ぶだろうにと思わず苦笑が漏れた。
ついでに、と今は買ったパソコンでホームページの作り方を教えているところだ。
どうやらネットショップを開くつもりらしい。
「ショッピングカートもつけたいんです」
「了解」
あらかじめ、素材として使う写真を用意しているあたりが用意周到というか、ちゃくちゃくとかわいらしいホームページが出来上がっている。
尚樹の保護者が経営している花屋のオンラインショップらしく、花を使った雑貨類が並ぶ。
結構商魂たくましいというかなんというか。
見た目はまだ幼いが、こういうところはしっかりしてるようだ。
そういえば、店のほうも行くたびに新商品が増えてるよなあ、とシャルナークは思い返した。
ぽちぽちとキーを叩く姿は、どこか不慣れな印象を受けるが飲み込みは速い。
「尚樹はパソコンさわったことあるの?」
シャルナークの問いに尚樹が首をかしげる。
しばらく考えて、ないですよ? 、と何故か疑問系の答えが返ってきた。
もちろん、尚樹の心の中で「この世界のパソコンは」と付け加えられていることなど、シャルナークには知るよしもない。
「どうしてですか?」
「いや…なんかのみこみ速いから。クロロはこう見えて機械音痴なんだよ」
シャルナークのことばに、尚樹がようやくパソコンの画面からクロロへと視線を移す。
一方クロロは、シャルナークの思わぬ暴露に反応できず固まっていた。
じっと尚樹が物言いたげにクロロを見つめる。
「……」
「そ…そんな目でおれをみるなぁ!」
「まだ何もいってないですよ」
クロロの尚樹の温度差が激しいやり取りは、いつ見ても面白い。
笑いを堪えながらシャルナークはその光景を眺めた。
クロロのこういう姿はめずらしいから尚更面白いのかもしれない。
「シャルさんも大変ですね」
クロロからシャルナークへ視線を移した尚樹が、心底同情したようにそう言った。


「んー…よし!こんなもんかな」
日中にシャルさんに教えてもらったことを参考に、細かいところの調節をする。
簡単ではあるが、満足のいく出来だ。
出来上がったページを眺めて、尚樹は一人うなずいた。
「なんだ、ずいぶん速いんだな」
膝の上で丸くなっていた夜一が、起き上がってパソコンの画面をのぞく。
そこには昼間作っていたものとは違い、非常にシンプルなページがあった。
画像の類は一切なく、連絡用のメールフォームだけだ。
「こんなんでいいのか?」
「うん、多分ね。最低ターゲットの名前と顔さえ分かれば大丈夫だから」
多分、というところにいちまつの不安を感じつつも、夜一は懸命にも沈黙を守った。
「夜一さん、暗殺の相場ってどのくらいか知ってる?」
「知るか。猫に聞くな」
「それもそっか。ま、向こうが提示する依頼料で一番高い奴にしとこ」
「……以外とがめ、……ちゃっかりしてんな」
がめつい、という言葉を軽くオブラートに包んでみる。
夜一の飼い主は単純なので、このくらいで騙されてくれるはずだ。
それは数少ない彼の美徳だと夜一は思っている。
「しかし…こんなんで依頼なんて来るのか?」
「うーん? ま、そのうち来るんじゃない?」
「えらく適当だな、おい」
「ま、人並みに稼げればいいからね。気長に待ちましょう」
なんとものん気なご主人様だ。
暗殺業をする、といったときはどうしたものかと思ったが、この分ならあまり心配は要らないかもしれない。
はやくも閑古鳥が鳴きそうだ。
パソコンの電源を落として、もう寝るよー、と抱えあげる腕におとなしく身をゆだねる。
壁にかかる時計を見れば10時半。
尚樹にしてはいつもよりいささか遅いが、夜一からずれば、何の冗談かといいたい時間だ。
夜一を抱えたままベッドに入った尚樹はお休み三秒で早くも寝息を立て始める。
両腕を重ねてぽすん、とあごを下ろした夜一はこっそりため息をついて、悲しくももはや身についたこのサイクルにそっと目を閉じた。