「尚樹」
呼ばれて振り返ると、廊下の先にヒソカとイルミが立っていた。
パタパタと足早に近づくと、ヒソカがにんまりとした笑みを浮かべる。
ぞわり、と鳥肌が立って思わずきびすを返した。
「どこ行くの? 尚樹」
しかしイルミに呼び止められて何とかその場にとどまる。
ゆっくりとぎこちない動きで振り返って胡乱気な視線をヒソカに向けた。
「…ヒソカ、何かたくらんでない?」
「ひどいな、そんなことないよ」
絶対嘘だ。相変わらずの笑顔で否定したヒソカに尚樹はわずかに顔をしかめた。
そんな尚樹には構わず、ヒソカが口を開く。

「この後暇なら食事でも行かないかい?」
「エー…俺もう帰りたいんだけど…」
大体、ヒソカと一緒に食事なんて楽しめないと思う、などと大変失礼なことを考える尚樹。
それに1ヶ月近くも家を離れていたから、いい加減帰りたいと言うのも本当だ。
やる気なさげに答えた尚樹に、もとよりそういう反応が返ってくることを予測していたヒソカは、ここぞとばかりに切り札を出した。

「2次試験の貸しがあるだろ?」
ヒソカの言葉を受けて、ちらりとそのときの記憶が蘇る。そういえば、貸しだとか何とか言っていたような気もする。
もともと踏みたおす気満々だったために記憶の隅においやられていたらしい。
豚くらいただで運んでくれてもいいのに…と若干恨めしげにヒソカを見上げた。
「…ヒソカのおごり?」
「もちろん」
せこい…という呟きがフードの中から聞こえたような気もするが、きっと気のせいだ。
無職の人間はハンターと言えどもたかるしかない。
食事に行くだけで貸しがチャラになるなら安いほうだろう…多分。
ヒソカのおごりだし。

「………スーツ?」
「…分かった、着替えるよ」
じっ、と上目遣いに無言で訴えてみると先にヒソカが折れた。
これも日ごろの教育の賜物だろうか。まぁ、教育と言うほどたいしたことはしていないが。
「それなら、まぁ」
「じゃあ決まり」

イルミは行かないのだろうかと見上げると、漆黒の瞳がじっと尚樹を見つめていた。
それに少し首をかしげて視線の先をたどる。

「ああ…これですか?」
頬に張られた絆創膏を指差すとイルミがこくんとうなづいた。
何それかわいい…。
いつもとなんら変わらぬ無表情の下で激しくときめきつつ、安心させるように表情を少し和らげる。
「大丈夫ですよ、かすり傷ですし。一応念でガードしてましたから」
正直、強化系はからっきしな尚樹にとって、念を使ったところでそれほど劇的な効果は得られない。
念を使えない相手でも、キルアレベルになってくると完璧に防御することは難しかった。

「ならいいけど…強化系、苦手でももう少し鍛えたほうがいいんじゃない? それじゃ下手するとヒソカに殴られただけで致命傷だよ」
ごもっとも。
たしかに自分程度の防御力なら念能力者に殴られただけで致命傷を負いかねない。相手が強化系なら尚更。
でもまぁ、別段修行熱心なほうではないし、何より。
「どちらにしても、俺の周りには人間離れした人たちしかいないのでかまいませんよ。鍛えたところで勝てるとも思えませんし」
というか鍛えるだけ無駄。
幻影旅団とかゾルディック家にかなうはずもない。
そう結論付けて尚樹はこれ以上の修行を軽く放棄した。

「イルミさんはこの後用事あるんですか?」
「うん。仕事」
「…そうですか」
あわよくばイルミも誘おうと思っていたのに残念だ。
まぁ、ヒソカも普通の格好をしてくれるようだし許容範囲内だろう。
その言動には癒されないが、まともな格好をしてくれれば見かけだけは癒し要素がヒソカにもかろうじてある。
仕草と性格がかわいくないので微妙なラインではあるが。

「じゃあイルミさん、今日はこれで。たまにはお店の方にも顔見せてくださいね」
「うん、じゃあね」
軽く手を振って去っていくイルミに名残惜しげに手を振り返す。
「じゃあ僕たちも行こうか」
「うん…あ、ヒソカ」
子供のように(と言っても外見上は本当に子供だが)手を引かれながら、思い出したように声を発した尚樹をヒソカは見下ろした。
尚樹がかぶっていたフードの中から、ひょこっと顔を出した黒猫と目が合う。

「夜一さんも入れるところにしてね」

いつもの調子でさり気に難題を投げつける尚樹にはいはい、とため息まじりにヒソカは相槌を打った。