手に入れたいもの

どうやらメンチは花屋の店長に何度か依頼をしたことがあるらしく尚樹はここで初めて知ったのだが、彼の保護者はどうやら運び屋らしい。
それで以前は店を空けることが多かったんだな、と尚樹は納得した。
ついでに、初対面のときに彼が何故あんな場所を通りかかったのかも今さらながらに理解。
保護者の職業を知らなかったことにメンチたちには呆れられたが、聞いても教えてもらえなかったのだから仕方ない。
ちなみにメンチが運んでもらったのは、食材、らしい。
曰く「ゼタがはやさでは一番なのよ」。
その言葉に尚樹はやっぱりあの足の速さは人外なんだな…とちょっと安堵した。


自分の運のなさは天下一品だと思う。
尚樹は表情こそ変わらなかったものの、自分以外の面子を目にして、天井を破ってでもそこから逃げたい衝動に駆られた。
しかしそんな尚樹の心境に気付くものなどおらず、話はどんどん進む。
「それで、君名前はなんていうの?」
金髪美人の懇切丁寧な説明など右から左に駄々漏れだった尚樹はここでようやく思考が戻ってきた。
自分を現実世界に引き戻した声の主を見遣る。
「俺はゴン。で、キルアにクラピカにレオリオ」
「…水沢尚樹…じゃないな、尚樹=水沢だ。よろしく、ゴン君」
「ゴンでいいよ。俺も尚樹って呼んでいい?」
こくこくと首を縦に振るとゴンはにっこり笑った。
ええ子や…!
クラピカに渡されたタイマーを腕にはめる。それと同時にドアが現れた。
尚樹はそこでちょっぴり首をかしげる。
………あれ? トンパは? 
そう、実はここに居るはずのトンパがいないのだ。トンパの変わりに尚樹がいるような感じになってしまっている。
もしかして自分はトンパの役割を演じないとダメなんだろうか…というかむしろ俺はどこまで本気出していいの? これって不公平じゃない? と一応試験官である尚樹は無言で頭を悩ませた。
「なんでだよ。フツーこういうときは左だろ?」
右か左かの選択。レオリオの言葉になんとなく右を押していた尚樹は、肝心なことに気付いて冷や汗を流した。
もし左を押していたら原作と余計違うことになってしまう、と。
だがもちろんそんな細かいところまで覚えているわけはないので、もうどうしていいのか。
実はこのときすでに、ベンドットが試験の説明を始めていたのだが、尚樹はきいてなどいない。
「尚樹、尚樹!」
「え…あ、ごめん」
ボーっとしてた、と尚樹は○ボタンを押す。
いつの間にかこんなとこまで話が進んでるよ、というのが尚樹の心境。
おいおいこいつ大丈夫か? というのがキルアあたりの心境。
「あ、しかも俺の番か」
たしかトンパは一番手だったはず。それで即行で負けたんだ確か、と古い記憶を呼び出した。
「なに、あんた一番手いくの?」
「うん…その方がいいだろ? 多分負けると思うけどごめんね」
ていうか負けないといけないんですがね。
念を使えば勝てるだろうけど、素手だと自信ないなぁ、と尚樹は相手を見遣った。なんかもう体格で負けてる。
「最初っから負ける宣言かよ。俺から行こうか?」
「いやだってあのひともと傭兵かなんかでしょ? それにキルアは最後の方がいいと思うけど」
じゃないと確実に負けるから、ということばは飲み込んだ。それを言ったらネタバレもいいところだ。
尚樹の言葉にキルアの視線が強くなる。拗ねちゃったかな? とその視線を間違った方向に捉えた尚樹はクラピカの方に顔を向けた。
「そういうわけで、俺が一番手でもいいですか?」
「大丈夫か?」
「死ぬ前にちゃんとギブアップしますよ。まぁ、一応勝つ努力はしますけど」
なんとなく納得していない顔だったが構わずに尚樹は細い橋を渡り、リングの上に降りた。
真正面からベンドットと視線が絡む。
「勝負の方法を決めようか。オレはデスマッチを希望する!一方が負けを認めるか、または死ぬかするまで戦う!」
「………却下」
ぴしぃと周りの空気が固まる。
「ていうかさ、何でみんな馬鹿の一つ覚えみたいにデスマッチデスマッチ言うの? もっと子供に優しい競技にしようよ。ほら…えーと…しりとりとか」
尚樹の提案に死刑囚がなんとも微妙な視線をよこしたが、すぐに何かを思いついたように口を開いた。
「…しりとり、でいいのか?」
「あ、やっぱ却下。時間かかるや。もういいよ、デスマッチで」
「っておぉい!」
勝負方法を考えるのが面倒になって尚樹は早々に投げ出した。レオリオっていい突っ込み役だなぁ、とか考えてることは誰も知らない。
「………で、結局デスマッチでいいのか?」
「うん…夜一さん、悪いけど端のほうにいてくれる?」
尚樹の言葉にフードの中からするりと黒猫が飛び降りた。いきなりの登場に何人かが目を見開くのが視界の端にうつる。
とことことリングの角まで歩いて、ちょこんと置物のように座り込んだ黒猫に飼い主は場違いにも「ら…らぶりー」と打ち震えた。
もちろん気付いたのは付き合いの長い黒猫だけだが。
「はじめても良いか?」
「うん、良いよ」
尚樹の返事を合図に死刑囚が動いた。正確に喉を狙ってきた指先をわざと体勢をくずしながら右に避ける。
そこに追撃するために踏み込んだ死刑囚の横っ面を、左足で蹴り飛ばした。
ゴスッとにぶい音がして死刑囚が後ろに数歩よろめく。
やっぱりこの体じゃ体重が足りないなぁ、と今度は左足を軸に右足で後ろ蹴りを叩き込む。そのままの軌道で足を下ろしたところで、尚樹はちょうど一回転した形になった。
基本的にこぶしではたいしたダメージを与えられないので、念を使わないときは蹴りの一点なのだ。そのために鉄板が仕込んである。本当は。
「さて…」
今度はさすがに仰向けに倒れた囚人に尚樹は視線を向けた。
うっかり反撃しちゃったけど、実は負けなきゃいけなかったんだよなぁ…と目を細める。
一方、無表情にたたずんですっと目を細めた尚樹に囚人は固唾を呑んだ。その視線に、彼の長年の経験が危険信号を発している。
ぐらぐらしてろくに考えられない頭で、自分のやるべきことを悟った囚人は何とか口を開いた。
「まい…った。オレの、負けだ」
その言葉に尚樹だけが内心で激しく動揺した。
そんな蹴りちょっと食らったくらいで頼むから降参しないでくれよ!と。
これからどうやって(痛い思いをしないで)負けようか考えあぐねていた尚樹はちょっぴり冷や汗を掻いた。
黒猫は、おそらく囚人と尚樹の思考は激しくすれ違ってるんだろうな、とそこに過去の自分を見た気がした。
とりあえず飼い主に近づきフードの中にライドイーン。
器用にも無表情に混乱している飼い主を、なんとか誘導してリングから下がらせたのだった。