19 いとしい
平穏はすぐに訪れた。
ジェイドと違って軍の末端であるリオには煩わしい後処理というのはほとんどなく、マルクトに戻って僅かな休暇の後に通常業務にもどった。ジェイドはと言えば、キムラスカとの平和条約、その後の障気の調査、大量のレプリカ達の世話など、寝る間もおしんで働いている。
おかげで、リオの生活は至って平穏、と言いたいところなのだが。
一度家にあげてしまったせいか、時折ジェイドが上がり込むようになってしまった。忙しい事に変わりはないので、ごくごく短い時間ではあるのだが、これでジェイドの仕事が一段落ついた暁にはどうなる事かと気が気ではない。
甘やかしてこれ以上居座られても困るから、と最初の頃は気を使って出していたお茶を自分で準備させるようにしたら、台所事情を把握されてかえってまずい事になった。
勝手知ったる、という感じでリオの分までお茶を用意したり夕食を用意したりするようになったジェイドに、ぐうの音も出ない。
目の前にそっと置かれたマグカップに、視線だけを向ける。開いていた本に栞を挟んで軽く体をのばし、ため息を吐息にまぜた。
今日はなんだか、ジェイドの態度がおかしい。おかしいのはまあ、今に始まった事ではないのだが、どうも沈んでいるような気がする。
リオはジェイドが口を開くまで沈黙を守った。
いくらかの逡巡の後、視線を机に落としたまま、ジェイドが静かに口を開いた。
ランプの灯りがゆらゆらと影を揺らす。
ルークとアッシュが死んだと、そう告げたジェイドに、リオは頬杖をついたまま壁にかけていたカレンダーへと視線を向けた。
あの日から、約一ヶ月。やはりそう簡単に運命は変わらないか。あざけるような笑みが自然と浮かんで消えた。やっぱり多少流れが変わっても、結果は変わらないらしい。
視線をジェイドにもどすと、驚いたようにこちらを凝視していた。
「……なに?」
「あ、いえ……驚かないんだな、と思って」
「別に……驚くような事でもないだろ? もとから分かっていた事だ」
「……知っていたんですか? ルークとアッシュの乖離現象が進んでいた事」
ん? とそこでようやくリオは会話がかみ合っていない事に気づいた。
記憶を辿って、ああ、しまったと自分の失態に気づく。ルークがもう長くないという事を知っていたのは、ジェイドと、ティアだけで(まあ、もちろん他の人間も気づいていたようだが)アッシュの乖離が始まっていたのを気づいていたのはジェイドだけだ。リオにとってそれはあまりにも当たり前の事実なので、自分が知らないという事に気づかなかった。
どうしようか、と自問して、まあ、気にするほどの事でもないと自答した。
「……ちょっと考えれば分かる事だろ。それに、ちゃんと預言通りだ」
「それは、その預言は、あなたでは知りえない事です……いえ、ユリア以外知る者のない預言のはずだ」
「……第七譜石」
に書いてあるかどうかは知らないけど、そこに書いてある可能性が一番高いので、そういう事にしておこう。たしか、こういうのを秘預言というんだったか。
「じゃあ、あなたはこうなる事を知っていて、預言の通りに動いたのですか?」
非難するような響きに否定するべきか一瞬迷った。預言の通りに行動したわけではない。むしろその逆で、下手をすれば最悪な結果を招くかもしれないと思いながら事実をねじ曲げた。
それは、この世界でリオだけが知る事実だ。
赤い瞳に映るのが軽蔑なのか単純な疑問なのか。
ここで否定しなければ、ジェイドは自分から離れていくのではないだろうか。自分が善人だと、主張するつもりはない。人でなしと思われることに目をつむれば、もうジェイドが自分にちょっかいをかける事もないだろう。
良い機会だから、軍人もやめてしまおうか、とそこまで思考が進んだ。
よし、リオ・ラドクリフ、人でなしの最低に成り下がります。
「そうですよ。私が信心深い事はあなたもよく知っているでしょう」
日頃から信心深いふりをしていて良かった。今はもう亡い両親にリオは久しぶりに感謝した。
ジェイドが言葉に詰まったのを確認して、コーヒーに口を付ける。
唇を噛むジェイドに手を伸ばした。
「そんなに噛んだら、切れるぞ」
びくりと体をすくませたジェイドに、自分の行動を振り返って顔をしかめた。なにこれ、自分キモイ。
手を引いて心の中でだけ悶絶する。
しんとした室内で、続くジェイドの言葉は、嫌に耳をついた。
「嘘をついているでしょう」
「……なぜ?」
「ラドクリフ、以前あなたは、これから先マルクトを離れる予定はないと、そう、」
言ったじゃないですか。
悲しげに睫毛をふるわせたジェイドの言葉に、あちゃー、とリオは眉間に手を当てた。
というか、リオ自体今の今までその発言は忘れていた。それは嘘だと言いたいところだが、自分が預言に対して嘘をつかないと、ジェイドは堅く信じている。
ああ~、今もしかして無駄にジェイドの好感度をあげてしまったかもしれない。ギャルゲーでいうなら、画面に星とかそういう効果が出るような、あれだ。いまちょっと幻覚が見えた。
預言に逆らってまで、ルーク達を救おうとしたあげく、その事を隠していた、という、ものすごく自分にとって都合が良いのか悪いのか判断のつかない図式を作り上げてしまった。
「……すいません、あなたに預言を違えさせてしまったのは、元を正せば私のわがままのせいですね。それなのに、あなたを責めるような態度を取った事、許して下さい」
「……別に、気にしてない」
むしろ、勘違いしたままでいてくれたらどれだけ良かった事か。ため息をついて、すっかり冷めてしまったコーヒーに再び口を付けた。
ああ、そして何故そこでそんなに落ち込むのか、ジェイド・カーティス。気にしないと言ったじゃないか。
「あの、ラドクリフ……今更なのは分かっていますが、預言を読んでもらいに行きますか?」
「シェイド、本当に気にしなくていいから。それに、もう読んでもらう必要はないよ」
リオの言葉に、ジェイドが首を傾げた。忙しくて切りにいってないのか、以前より長くなった髪が動きにあわせて肩からこぼれる。30代とは思えないキューティクル。はげろ。
「もう、一生分の預言を読んでもらったから」
嘘ではない、とっくに死んでいる予定の自分の預言はもう存在しない。便利だったのに残念だ、とちょっとだけその存在を惜しんだ。
下手に預言を読まれてしまうと、その事がばれてしまうので、あながち嘘でもない事を言って適当にごまかしたつもりだったのだが、リオが思っているよりもジェイドは頭がいいらしかった。
はっと息をのんだジェイドに、今度はリオが首を傾げる番だった。なにか、不自然な事を言っただろうかと。
見る見るうちに赤い瞳がうるんで、睫毛を濡らしたかと思うと、ぱた、としずくが机の上に落ちた。
な、ななななななぜ!?
思わずイスから腰が浮いた。
「ジェイド……なんで」
ハ、ハンカチ……思わず周りを見回したが、ぱっと手の届く位置にタオルもハンカチもない。
当たり前だ、ここは台所だ。布巾ならあるが、さすがにそれを差し出す気にはなれなかった。
仕方がないので立ち上がって、ジェイドに近づく。
羽織っていたカーディガンの袖で涙の跡をぬぐってやった。
座ったまま自分を見上げるジェイドに首を傾げる。なんで急に泣き出したのか、皆目見当がつかない。
「いつですか」
「……なにが」
ジェイドの唐突な質問に顔をしかめる。
「いつ、死ぬんですか」
瞬きとともに流れた涙をもう一度拭いてやる。さっきの言葉にそんな意味を込めたつもりは全くなかったのだが、そう簡単にごまかされてはくれないらしい。
今日何度目が分からないため息が口をついてでた。ポンポンとその頭を撫でる。なんだか、もうジェイドとは無関係でいられない感じがひしひしとしてきた。
「予定では、とっくに死んでるはずなんだけどね」
だから、泣く必要なんてない。というか、泣かないでくれないか。
ぎゅう、とリオに抱きついた体は、女の子のような柔らかさはない。
比較的自然に体は動いた。右手があやすように頭をなでて、左手が宥めるように緩くジェイドの体を抱きしめ返す。
無意識にこんな行動をとる事が、もう人として終わっている気がする。
「どうか自分から死ぬようなマネはしないでください、ラドクリフ」
「……もういいよ、リオで」
きょとんとしたジェイドに、名前、と短く告げただけで、言葉の意味を悟ったらしいジェイドは涙もひっこんで顔を赤くした。
もうどっぷり首まで浸かって抜け出せない状況であることを、ようやく認める気になったリオ・ラドクリフである。
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