20 信頼しています
あれから2年が経った。
生きていれば、明日ルークは20を数える。最後の場所に、戻ってくる。
それがルークなのか、アッシュなのか。知っているのはおそらくジェイドだけだ。
もっとも、彼もあの場にルークが戻ってくるとは思っていなかったかもしれないが。いや、この場合はアッシュか。ややこしいな。
まあ、それは脇においておいて。
そろそろ軍人をやめて、マルクトを離れてみようか、なんて考えてみる。
いつまでも律儀に軍人なんてやっている必要もないし、ルークの成人の議にはジェイドも参加する。鬼の居ぬ間に何とやら。
辞表も書いたし、準備万端。
「リオ?」
「……なんだ、ジェイド」
「あ、いえ……何でもないんですけど……ちょっと胸騒ぎがして」
おおう、鳥肌が立つような発言をありがとう。どんだけエスパーなんだよ!?
作り笑いを浮かべて後ろを振り返る。自然な動作で、辞表を引き出しにしまった。
「気のせいだろ、それより明日の準備はできたのか?」
「はい……リオはやっぱり来ないのですか」
「あー、俺は仕事あるし……そういうのは苦手なんだ」
「そう、ですか……」
しゅんとするな、ジェイド・カーティス。ありもしない罪悪感が刺激されるだろう。
後ろめたさからついつい仕草が優しくなる。頭を撫でてやっていると、じっ、と下から視線が向けられた。なんでしょうか、そのもの言いたげな視線は。
「……リオ」
するりと冷たい指先が首に触れた。肌が泡立つ。首にかけた革ひもをジェイドがたぐり寄せる。服の中から引き出されたそれは、父の形見。あれ以来、なんとなくお守りとしてつけたままだ。ジェイドが、渡した母の形見をずっとつけている事も知っている。
これが一体どうしたのだろうと、今頃になって触れたジェイドにいぶかしげな視線を向けた。
「これは、あなたは知らないかもしれませんが……古いまじないみたいなもので……もちろん、効力なんてないんですけど、末長い幸せを、願う物なんです」
「へぇ、そうだったのか」
よかった、縁結びのお守りじゃなくて。マジで。心底安堵してリオはプレートの模様をまじまじと見つめた。
あれ、と首を傾げる。
ジェイドの首元にみえるすこし古びた革ひもに手を伸ばした。びくりと少しだけ体を引いたジェイドに構わず、同じようにプレートを引き出す。やっぱりそうだ。
「微妙に模様が違うけど、意味も違うのか?」
リオの質問にジェイドが苦虫をかみつぶしたような顔をした。その表情の意味が分からず、リオは眉根を寄せる。
指先でプレートに触れただけで、ジェイドはまぶたを伏せた。僅かに弧を描く唇が、微笑んでいるのだと思わせる。
「……同じですよ」
静かに告げる声、白い頬に落ちる睫毛の影。オレンジ色に染まる室内で、ジェイドはとても儚げで、とても幸せそうに見えた。
認めたくないが認めよう、やはりときどきは可愛く見えるのだ、この鬼畜眼鏡のことが。
ああ、またせっかく書いた辞表が無駄になりそうだ、とその薄い唇に触れるだけの口づけを落とした。
月明かりに照らされたリオの顔は少し険しい。良くない夢を見ているのか、それとも何かに苦悩しているのか。
後者かな、とジェイドはその少し硬めの髪に触れた。
リオが自分のことを持て余している事は知っていた。知っていて、彼の優しさにつけ込んだ。
彼の首から下げられたプレートに月の光が反射している。
かまをかけてみたのだが、どうやらリオは本当にこのまじないの意味を知らないようだった。
言ったら、どんな反応をしただろうか、と笑みがこぼれる。末長い幸せを願う、というのは嘘ではない。ただ、もっと正確に言うならば、「二人の」末長い幸せを願う物で、昔はよく結婚の折りに贈られた物だ。今ではもうあまり見る事のない物ではあるのだが。
おそらくリオの両親の頃にももうこの習慣はほとんどなかっただろうから、祖父母にでももらった物なのだろう。模様が微妙に違うのは、2枚で一つだからだ。一体いつ作られた物なのか、だいぶ文字もかすれてしまっている。
こういうものを自分に渡してしまう所が、リオのうかつな所だ。
ベッドから離れて、そっと箪笥の引き出しを開ける。
一番上に置かれている封筒を手に取って、中を引き出した。
「一身上の都合により、ですか」
彼が辞表を書いたのは、ジェイドの知る限りこれで3度目だ。いつかこれを彼が提出する日が来るのだろうか、と封筒を元通りに戻す。
そしてこうも考える。これを書かせてしまったのは自分だろうか、と。
一体いつまで自分のそばにいてくれるのだろうか、と引き出しをしまって振り返ると、ベッドの上に座ったリオがじっとジェイドを見ていた。息が止まる。
鋭い視線に身がすくむ。暗い輝きをたたえた瞳がジェイドをとらえていた。
「……リオ」
「ジェイド、おいで」
手招きしたリオに言われるまま足を動かす。勝手に寝室に入った事を怒っているだろうか、とその表情を探るも、無表情のまま変わらない。
手を引かれて、ベッドの縁に腰を下ろした。
「何を見たの?」
にこりと口元だけで笑ってみせたリオに、ジェイドは体をこわばらせた。指先から冷えていく。
「……何も」
「本当に?」
「っ本当に……!」
動揺が声に出た。まっすぐな視線が、近くであわせられる。
「なぁ、ジェイド」
「……なんですか?」
「俺に言ってない事はない?」
リオの問いにうつむけていた顔を上げた。言っていない事、とは何の事だろう。思考を巡らすも、何の事か分からない。
リオの言いたい事が何か分からずに首を傾げると、ゆるりとその口元が弧を描いた。
鼓動が早くなる、顔に熱が集まる。ひとつだけ、心当たりが、ある。でも本当に彼が求めているのはこの言葉だろうか。
ずっと言えずにいた事、言うつもりもなかった言葉。言えば、何かが変わるのだろうか。
「ジェイド?」
「……何の事か、分かりません」
優しく髪を撫でる感触はいつもと変わらない。なだめるようなその仕草に落ち着かなくなる。
ふとうつむいた視線に鈍い輝きが入った。
「ジェイド」
促すようなリオの声に、瞳を閉じた。大丈夫、リオなら自分を拒絶したりしない。今までの事を思い返して、自分に言い聞かせる。自分の胸にもあるプレートを握りしめる。
「リオ」
自分の声だというのに、ひどく頼りない。リオ、と繰り返し名前を呼んだ。あたたかな手の平が促すように髪をすく。消え入るような声で告げた言葉に、リオがどんな顔をしていたのかは分からない。
ただ、よく出来ました、とささやいた声と、頭を胸に押し付けるように抱きしめた手はいつも以上に優しかった。
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