晴れ時々雷雨。その弐拾玖
机の上には名刺が一枚。東京都立呪術高等専門学校。何度見返しても怪しいことこの上ない。
亜久津の向かいに座る男は、そういう怪しさとは無縁な感じのする青年だ。何故か以前会った時よりも随分と若々しく見えるが。
よく言えば真面目そう、悪くいえば神経質そうに姿勢を正してそこにいる。
「……あいつの父親は今日本にいないんで、とりあえず俺が代わりに話を聞きます。俺の母親にから一応話は通してあるんで」
「……すみませんが、あまり水沢君の家庭環境には詳しくありません。あなたの母親が、日本での保護者ということで間違いありませんか」
「そんなところです。一応俺とは幼馴染みで、家は隣っすね」
七海からすると、まさかここで大人ではなく幼馴染みから連絡があるとは思わなかった。亜久津仁と名乗る彼とは以前短いながらも言葉をかわしたことがある。あるのだが、今回は内容的に保護者に通したい話なのだ。本人は何も気にしていなかったが、普通の親なら反対するだろうというのは容易に想像がつく。だからこそ、親御さんにも確認を取るように言ったのだが、と内心で頭を抱えた。
音もなくコーヒーが2つ。にこやかな表情の店員は視線をむけた七海に小さく会釈してカウンターの中に戻っていった。
少し遅い時間だからか、他に客の姿はない。先程まで彼とは別に女性の店員もいたが、先に上がったようだ。
西日に照らされて窓ガラスのポアロという文字が机に影を落としている。
「いくつか確認しておきたいことがあって」
見た目とは裏腹に、声色は落ち着いている。
水沢もそうだが、彼も中学生には見えない。脱色した髪、シャープな顔立ちが余計にそう見せる。黒髪でどちらかと言えばおっとりとした尚樹とは正反対の印象を受けるが、蓋を開けてみればこちらの方が面倒を見る側というところがなんとも言えない。
「全寮制って話みたいですけど、位置的にはここから遠いってことでいいですか」
「そうですね……正確な位置は言えませんが、だいぶ自然豊かな感じです。一応都内ですよ」
「そっすよね……」
ふー、と深いため息。やはり正確な場所が言えない、というあたり怪しすぎるか。共感しかない。
「……遠いと何か問題が?」
「本人にはあんま言わないで欲しいんすけど、通院のことで」
「つういん」
「通院」
「病院のことで合っていますか」
「そうです」
「……健康体に見えますが、何か病気が?」
「あー、まぁ腕の怪我の件もあるんですけど、主にメンタルの方で。今あんまり状態が良くなくて、月に3、4回は」
まあまあの頻度だ。腕の怪我の件は、五条からの情報でなんとなく知っている。
メンタルの方は正直意外だった。かなり感情がフラットなタイプだと思っていたので。
「……支障なければ、症状の方を伺っても?」
「おおもとは、事故の後遺症というか、いわゆるPTSDってやつなんすけど」
「ああ、なるほど」
選手生命をたたれるほどの怪我を負ったのだ、無理もない。身体は大きくても、まだ中学生だ。
「それのせいか、事故前後の記憶が結構あやしくて。下手につつきたくなくて、あんまり本人には確認してないんすけど、結構ごっそり抜けてる感じがあります」
「それはまた……なんというか」
「ここ最近はいろいろあったせいかフラッシュバックかも、って場面も多くて。本人は何も言わないから、俺がそう感じてるだけですけど」
「支障なければそのいろいろ、について聞いても?」
ちらりと亜久津の視線が店の奥のほうに流れる。つられて七海も視線を向けたが特に何も、いや、まあまあ空気がよどんでいるか。なんでこんな普通の喫茶店で、と思うが今はいったん保留だ。まだそれほど害はないだろう。
それにしても、もしかして「見えて」いるのだろうか、と亜久津を観察する。以前尚樹に蝿頭が付いていた時は見えている雰囲気ではなかったが。
「昔の……ちょうど記憶が抜けているあたりの知り合いに会って」
「ああ……それで思い出した?」
良くある話だ。場所や人物に記憶が呼び起こされることがある、というのは珍しくない。
「思い出した、とは、ちょっと違うと思うんですけど……たぶん、事故の時の痛みとか、といういうのがフラッシュバックしたっぽくて。
日本に戻ってきてから、しばらくは多少傷を気にすることもあったんですけど、ここ最近は全然だったんですよ。なのに急に……明確に痛いって態度に出したっていうか。
あとこれは、もしかしたら事故の後からずっとだったのかもしれないんすけど、左手の感覚があんまないみたいで。医者の話では、日常生活には問題ないって言われてるし、まったく使わないわけじゃないんですよ。利き手にしては明らかに使わないんですけど。
なのに、この前包丁で刺されたときは痛くないって」
「……え?」
今、普通の中学生からは出てこないような言葉の羅列が並ばなかっただろうか。包丁で刺された?
「え、ちょっと待ってくださいね……聞き間違いじゃなければ包丁で刺されたとか聞こえましたが、包丁で刺したの間違いでなく?」
「刺された、であってますね。ちょうどこの喫茶店で」
えええ、とさすがの七海も内心でドン引いた。どういう状況になればこんな変哲もない喫茶店で中学生が刺されるのか。包丁というあたり、計画性を感じる。
「……それちなみにそれは奥側の席あたりですか?」
先ほど見た、空気のよどんだ一角を指さすと、亜久津がうなずく。
「やっぱりそういうの、分かるもんですか?」
「あー、ちょっと、よどんでるな、とは……ちなみに、なんで刺されたかうかがっても?」
「たぶんもらい事故っすね。本人が狙われたわけじゃないです」
「そうですか……」
良かった、中学生で刺されるほどの恨みを買っていなくて。いや、あんまりいい状況ではないが。
「痛がってなかったということですけど、どの程度の怪我だったんですか?」
「左手を甲側から貫通、ですね。刺さりどころが良かったらしくて骨とかには異常なしです。表裏2針ずつで、貫通してるから一応内側も縫ってるって」
抜糸まではもう少しかかる、と聞いたところで思わず顔をしかめた。
「……まあまあの大怪我ですね……」
「いや、まあ……そっすね。でもたぶん本人的にはかすり傷っていうか」
「かすり傷」
思わず声に出た。自分たちのような職業ならともかく、普通の中学生ならそうとう堪える傷だと思うが。虎杖といい、最近の中高生はどうなっているのか。
「傷が完全にふさがるまで激しい運動禁止されてるんで、そこは不満っぽいですけど、あとは気にしてなさそうです」
「なるほど……ちなみに、さっきちらっと言ってましたが、左が利き手で間違いないんですよね?」
「そうですね。字かいたり食事したりは、あいつの母親がうるさかったんでどっちでも問題ないんですけど、もとは左利きです」
亜久津の話振りから察するに、本当に左手を使うことが少ないのだろう。細い記憶の糸を手繰り寄せる。朝、パン屋で会った時のこと、祭りでのこと。トングを握る手、小銭を握る手、ポイを握る手。そのどれにも違和感を覚えていなかった。
それはつまり、全部右利きと同じ所作だったということではないか。
「腕の症状は、精神的な問題だろうとは言われてて、でもそれも本当なのか……いくらなんでも、痛くないことってありますかね? 使わないって言っても、飯食う時に茶碗持ったりとか、そう言うのは普通にするんですよ。
それに、医者が言うには」
そこで、躊躇うように亜久津が言葉をきった。視線がわずかに左右に揺れる。机の上のコーヒーがカップの中でわずかに円を描いた。
「……統合失調症の疑いが、あるって。正直、あんまり納得はしてないんすけど。俺からすれば、記憶が抜けてるって以外は違和感なくて。医者が言うような被害妄想とか、幻覚とか、幻聴も全然感じないし。薬も、増えるばっかりであんま、良くなってる感じがしないし、なんなら悪化してるし、」
早くなる口調を抑えるように、言葉が途切れる。は、と短く吐き出された息が、ひどく苦しそうだった。どこか覚えのある感情の揺れは、かつての自分を見ているようで、すこし居心地が悪い。
「最近、病院を変えたいって、あいつが言い出して。あんま、そういうこと言う奴じゃないのに」
それには七海も同意だ。今までの短いやり取りで、水沢尚樹がかなりおおらかで、大雑把なタイプであることは認識している。
「……診察で何か?」
「……本人は、場所が嫌だって、それだけ」
「場所ですか」
それは、もしかしてこちらの領分では。
「それに、ここ最近渡してある安定剤がわりの薬が、急になくなってて」
「……安定剤がわり、というのは?」
「前にオーバードーズしたことがあって、今はビタミン剤を安定剤として渡してます。他の薬は俺が管理してて」
「プラセボですか」
「はい」
これはまた何というか、予想の斜め上に厄介そうだ。ただ、どうにも本人の様子と噛み合わないが。そして目の前の少年は、中学生というにはあまりにも気苦労が多い。本来ならそれは、彼の両親が気をもむことであって同い年の幼馴染が背負う事柄ではないだろう。
「その、先程医者が言うような症状が見られない、ということでしたけど、オーバードーズは経験があるんですよね?」
「それは、まぁ……。ただ、どういうつもりでのんだのかはちょっと判断がつかなくて」
「精神的な要因ではないと?」
「……本人は、味の感想しかなくて、どれが一番効いてるとかそういうのは特に。最近の薬は溶けるタイプも多いから、ラムネ感覚みたいで」
「それは……、何というか」
いいのかそれで。流石に危機感がなさすぎるのでは? 普通の人間は薬を飲むのに多少抵抗があるものだ。まして、それが何の薬か分からないのなら尚更。
もういっそラムネでもいいのでは。
喉元まででかかった言葉をコーヒーで流し込む。
「亜久津君的に、悪化していると感じるのはどういうところでしょうか」
「記憶が戻ってきている感じがするんです」
「……それは、改善しているのでは?」
「あんまり、気持ちの良い記憶じゃないんすよ。それもあって忘れてんだろーなとも思ったし。
最初は、時間が一年ズレてるってことに気づいて」
一年、というのはなかなか長い。先程のごっそり抜けている、というのはこれのことか。
そこでふと、頭を掠めるものがあった。そういえば、そういう会話をしなかっただろうかと。
記憶をたどろうとしたところで、亜久津がさらに続ける。
「自分がテニスやってたことも忘れてるし、あと多分、これは憶測ですけど、両親のことも忘れてるっぽくて」
「それはまた……」
「最近母親の夢を見たらしいんですけど、知らない女の人だったって。父親のことは、忘れてると言うか、そもそも認識が出来ないみたいで」
「認識できない、とは?」
「あいつの父親、結構親バカなんで、頻繁にメールをよこしてるんすよ。でも一通も開いてなくて、なんでか知らねーけど、頑なに迷惑メールだって」
「……すみません、私も医者ではないのでなんとも言えませんが、かなり症状が特殊なケースでは? 医者はなんと?」
「両親の件は、回避行動だろうって。時間の齟齬は、最近急にうまって、それもちょっと怖いっつーか」
最近、時間の齟齬がうまった、という下りで思い出す。最近自分が中学二年生だと判明した、とそんなことを言っていたか。あの時は適当に流してしまったが、そういうことか。
思わず片手で顔を覆う。あの能天気を絵に描いたような振る舞いで、そんなことあるか?
「……そういえば、先日話した時に自分が中学二年生である事に気づいたとか、そんなことを言ってましたね……」
「あー、なんか、理由は分かんないんすけど1月くらいに急に気づいたみたいで」
「その感じだと、うちの学校は厳しいかもしれませんね、通院できないことはないと思いますが……少し、メンタルを試される部分も内容的にあるかと思いますので」
「通院の件は正直迷ってて、このまま通っても良くなる事はないんじゃないかって。現状、本人は気にしてなさそうだし、薬も、本当にいるのか……」
「それは……しかし自己判断は危険ではないでしょうか? 向精神薬は急にやめると悪化するとも聞きますし。水沢君自身は何か言ってないんですか?」
「あいつは別に。昔から普通の人間なら嫌がるような事も、気にもとめてないって感じで……、その、夢の内容も母親に叩かれる夢だったみたいなんですけど、それに関しては全然気にしてる感じはなくて」
「……ちなみに聞きますが、それは現実にあった事でしょうか?」
「……隠してもしょうがないんで言いますけど、あいつの母親は結構すぐ手が出る方で。尚樹は、大した力じゃないから平気、とは。ただ、叩かれても平然としてるもんだから、それで余計に……ってのはありましたね。それが原因で、あいつの両親離婚したようなもんなんで」
判断が難しいところだ。それは、本当に気にしていないのか、そういうフリをしているのか。呪術師は理不尽な暴力にさらされるのは日常茶飯事だ。もし、母親の暴力にトラウマがあるようなら、厳しいかもしれない。
「最初は街中でパンダに会ったって話が医者に幻覚だと思われてたらしくて」
「ちょ……っと待ってくださいね。パンダですか?」
「ああ、それは医者の誤解で、ちゃんとパンダはいたんですけど」
「……そうですか」
「その後部屋に盗聴器とカメラが仕掛けてあって、うるさいって診察で言ったらしくて」
「……なるほど」
どっちも心当たりがある。パンダの件は気まずいことこの上ない。確かに、街中であれを見たら大なり小なり驚くだろう。
「まず、パンダの件ですが、うちの生徒ですね……」
不信感を煽りそうで仕方ないが隠しても仕方ない。むしろ下手に隠してバレた時の方が怖いので、七海はさくっと真実をつげた。亜久津は微妙な表情を浮かべている。さもありなん。
「あと、盗聴器とカメラの件ですが、それも心当たりがあります。私も一度水沢君にあった時にその話をうかがったので、警察に確認しました。こちらから外すよう話をして、現在は外れているはずです」
「……あと、なんかときどき警察にあとを付けられるらしくて」
「それもおそらく間違いではないかと。一緒の時に車で尾行された事があります」
そこまで話したところで、亜久津は再び深く息を吐いた。
「……薬、減らしてもらいます」
「その方がいいかもしれませんね……」
「いや、マジでメンタル自体は安定してんのに、薬が増えていくから意味分かんなくて。病名増えるし」
「すみません、まさかそんな事になっているとは思わず」
「いや、まぁあんまり周りには話してない事なんで。本人見ても、そういう風に見えないだろーなっていうのも分かるし」
そこでようやく亜久津がコーヒーに手をつけた。多分、今のやりとりで少しはこちらの不信感も薄まっただろう。そう信じたい。
まさか話の展開がこんな方向になるとは思わなかったが。
「あと、これは少し確証がないので、水沢君に確認してもらった方がいいと思いますが。病院を変えたいというのはもしかしたら医者がどうのではなくて、純粋に場所の問題かもしれません。どこの病院か伺っても?」
「杯土中央病院です」
「なるほど……大きい病院なので、その、あまり良くないものが見えているのかもしれません」
「……良くないものっていうのは、オカルト的な意味であってますか?」
「はい。人の集まる場所はもちろんなんですが、病院や学校はそもそも集まりやすいんです」
「……あー、最近、病院内でキョロキョロしてんの、それか。なんか探してんのかと」
「……その、こういっては何ですが、よく信じる気になりましたね」
「まぁなんつーか……俺もあいつも見えねぇけど、あいつのじーさんは見える人で」
それでも、大半の人は信じないと七海は思う。見えないものを信じる、というのは難しい。
「俺も最初は信じてなかったけど、子供の頃に尚樹が神隠しにあったことがあって」
「……それは、また」
「警察に通報もして、結構探したんすよ。でも全然、見つからなくて。あいつのじーさんがわざわざ田舎から出てきてくれて。いなくなったのは近所の神社だったんですけど、じーさんが、境内に入った瞬間、まだここにいるっていいだして。で、俺に鈴鳴らしながら名前を呼べって、迷子になってるからって」
丸めた背中、視線は記憶を辿るようにコーヒーの暗い水面をなぞっていた。
「結構長い時間、あいつのこと呼んでて、やっぱり嘘なんじゃないかって思ってたら、いつの間にか隣に立ってた事があって。本人はずっと境内にいたって。一番最初に探したから、そんなはずないのに。で、そん時に、もらった饅頭をくったって……」
どこかで見たような話だ。警戒心をどこかに置き忘れてきたに違いない。
朱い、連なる鳥居、狐の面。稲荷寿司。
「……大変言いにくいのですが、去年の夏祭りで私と会ったのを覚えていますか?」
「ああ、稲荷神社の」
「はい。その時に、水沢君に連れられて入ってしまったんですよね、向こう側、といえば分かりやすいですか?」
「……もしかして、迷子になったときですか」
「はい。その時に、食べてましたね、稲荷寿司……」
「稲荷寿司……」
丸めていた体を起こしてソファの背もたれに預ける仕草で、その複雑な心境が伝わってくる。
「すみません、止めようとした時には一口でいってて」
「いや、……なんかすみません」
はぁー、と腹の底から出たようなため息に同情せざるを得ない。
「……七海さんて、警察とも関係ある感じですか?」
「あるといえばありますね。協力関係と言いますか、警察の手に負えない案件を我々が請け負うかんじです。その、水沢君の神隠しのような事件や怪死といったものですね」
「その、話せればでいいんですけど、尚樹はなんの容疑で警察にマークされてるか聞いても?」
「あー、その、詳しい内容はこちらにも降りてきてないんですが、どうも犯罪組織との関わりを疑われていたみたいで」
「ウケる」
いや、なんでここでその反応。先程までの深刻さはどこに行ってしまったのか。
「心当たりはありますか?」
「いや、100%勘違いなんで、叩いてもホコリも立たないっつーか。なんでも深読みするタイプの人間からすると、あいつは怪しく見えるらしくて、まぁ分からなくもないんですけど。ただあいつはバカなんで、まじで額面通りの意味しかないっていう」
「……何となく分かる気はします」
「行間とか、言葉の裏を読めないタイプなんで、押すなよ? って言われたら押さないタイプです」
「あー……」
解釈一致。確かに、本人は大変素直な印象だ。
「まー、だからあいつの言動が、疑り深い誰かの琴線に触れたんだろうなって」
その時の視線の揺れ、その意味を七海は汲み取れなかった。何か、意味があるような気はしたが。
「ああ、あと確認だけど」
そこで言葉を切って、亜久津が一瞬明るくなったスマホを手に取る。
「以前……それこそ夏祭りで会った時はサラリーマンって言ってたと思うんすけど」
「ああ……その、呪術師、と返答するのも憚られまして」
言われてみればそんな会話もしたか。その後に焼かれたり若返ったりで、正直細かい会話までは覚えていない。ただ、職業を尋ねられたら、一般人相手にはそう答えるだろう、という予測はつく。
「それは、まあ、そうすけど。教師って言っとけば無難っつーか」
「あの時点では、実は教師ではなくて。五条さんは分かりますか?」
「いや、知らねーけど」
「は? いや、えーと、もしかして水沢君としか会ってないんですかね、あの人……銀髪に目隠しの怪しい見た目なんですが」
銀髪に目隠し。亜久津は七海の言葉にじっと記憶を辿った。そういえば、一度だけ、尚樹が街中で絡まれていた人物がそういうルックスだった気がする。
「……もしかして、めちゃくちゃ背の高い」
「それです」
「普通に変質者かと……尚樹と連絡先交換してたんで」
「すみません……あの人あれでも教師で、呪術師の中でも最強なんです」
「教師ぃ?」
大変素直な反応。昔と違って、サングラスではなく目隠しなので、その反応も致し方ない。しかも無駄に背が高いものだから、目立ってしまうのだ。
「はい……一応あの人にも相談の上で、水沢君をお誘いしています。私は来年から教師になる予定で。水沢君に合わせて教員免許をとるつもりです」
「それで……いや、前聞いた時と話が違ったからちょっと気になって」
「怪しいですよね、分かります。一応安心材料になるかは分かりませんが、呪術師になる前は金融関係の会社で、それこそ普通にサラリーマンをしていました」
「……おいくつですか」
「27です」
若くないですか、という言葉を飲み込んだのが、手に取るように分かった。それはそう。自分でも、記憶が確かなら高専時代の見た目なのだ。一応、今は術式の関係もあってスーツを着ているが、以前のようにしっくりはこない。サイズを合わせても、まだ骨格が隠しようのないくらい未成年の気配を滲ませているせいだ。
「なんか、以前見た時と違う感じが……」
「そうですよね……」
最初に何も触れられなかったから油断していた。あれは触れなかったんじゃなくで、出来なかっただけなのだろう。話が一段落ついて、ようやく亜久津の警戒が解けてきただけの話だった。
「その、大変怪しく聞こえると思いますが、オカルト的な理由です」
「ああ……」
少し遠い目には憐憫も見える。七海にもそれ以上のことは言えない。何故なら、はっきりした原因が分からないから。多分、あの参道を通ったことに関係があるのだろうとは思っているが、その周辺の記憶はあまりない。目が覚めた時には、すでにこの姿だったので。
「あー、あとすみません、尚樹が学費は幾らかって」
「学費はかかりません。寮費もですね。あと、一応任務内容に応じて給料も出ますので、生活費の心配もそこまでないかと」
「……」
「すみません、分かります、怪しいですよね」
訝しげな視線が痛い。タダより高いものは無い。
「……任務っていうのは?」
「実習といえば分かりやすいかもしれませんが、座学の他に実戦もあります。もちろん、ランクの低いものから、能力に合わせて、と言う形になりますが。一人で行かせることはありませんよ? まぁ、それでも危険が無いとは言いません」
「あいつ……マジで霊感ないですけど、行けますかね」
「一応、そういうのが見えるようになる道具があるので……」
「それならまぁ……運動神経は無駄に良い方なんで」
そこ納得するんだ、と意外に思う。ただ、言葉とは裏腹に、節目がちな視線は何かを危惧しているようだった。
「……気になることがあれば、どうぞ」
「あー、その、相手が人間ってことも?」
「ゼロではないです。一応、我々は祓う側の人間ですが、利用して悪事を働く人間もいますので」
「ですよね……」
右に左に組み替える手元。言葉を選んでいるのか、逡巡しているのか。沈黙はわずかな時間だった。
「あいつ、多分手加減がろくにできないんで、殺してまずい時は早めに止めてください」
予想外過ぎる言葉に一瞬思考が止まる。普通、心配するのはそこではないと思うが。
「……過去にそういったことが?」
「多分、殺しても良いと思ってる時と、無効化しようと思ってやってる時があるんですけど、どっちにしても急所を狙う癖があって」
「どういう生活したら中学生がそういう事態に……」
「絡まれたり強盗に会った時に」
なんだ強盗って。意味不明過ぎる。普通の人間はそんな事態にはそうそう陥らないのである。
「……分かりました、気をつけておきます。それより、入学に反対はしないんですか?」
「正直、あいつじゃなかったら反対してるところですけど。年々、迷子がひどくなってるし、このままだとあんまり長く無さそうな気もしてたんで」
「迷子、酷いですか」
「自分の生活圏で迷うこと、普通はないだろ。最近は手を離した一瞬の隙にってことも多くて、もしかしたら普通の迷子じゃないんじゃないかって薄々思ってて。
七海さんも、行ったんだろ? あいつが、あいつだけが歩いてる場所」
ランタンの明かりが脳裏に蘇る。生得領域とは違うあの空間。
「……そうですね」
よろしくお願いします、と頭を下げた彼の気持ちと覚悟が、痛いほどだった。自分の幼馴染みがもう長くないかもしれないと悟るには、まだ早過ぎる年齢だ。
「いろいろと教えて頂きありがとうございます……提案なんですが、入学までにいくつかランクの低い任務をこなしてみましょうか? その、メンタル的に大丈夫かどうかの様子見で。
今の話を聞いた後では大変言いづらいのですが、結構暴力的なシーンもあるといいますか……」
言えば言うほど怪しい。自分の言葉を脳内で反芻して、言葉尻がかぼそくなる。
いやでも普通に死人も出る業界だ。それを伏せて入学させることは、七海には出来ない。
「無理そうだったら、入学はしなくても座学だけでも受けれれば、無いよりはマシだと思うので」
「……そうっすね……多分、大抵のことは、出来ちまうと思うんですけど。
あと、聞きにくいんですけど、任務? 中の殺人って罪に問われますか」
いったい何があれば、そんなに幼馴染みの殺人について心配になるのか。なにか前科でもあるのかと勘繰ってしまうではないか。
「よっぽどのことが無い限りは大丈夫ですよ。それこそ一般人の大量殺戮とかしないかぎり」
「……そうすか」
今の微妙な間は、一体どういう心境か。正直水沢尚樹という人間が怖くなってきた七海だった。
店を出て行く二人の背中を見送る。コーヒーカップを片付けるついでに、設置していた盗聴器も回収する。
随分と深刻な空気だった。
スーツの男性は一度水沢尚樹に接触した際に調べたが、詳しいことは分からなかった。
設置していた盗聴器でふたりの会話はクリアに聞こえていたが、耳を疑うような内容ばかり。
正直、亜久津が騙されているのではないかと心配になるほどだ。
疑り深い誰かの琴線に触れた、という亜久津の言葉は大変胸に刺さったし、盗聴器やカメラの件、それに伴う病気の話もものすごく罪悪感を煽られた。何度胸を押さえそうになったことか。
いや、今は自分の心情などどうでもいいのだ。
「呪術師、ね」
とりあえず水沢尚樹につけていた監視を外すよう圧力があったのは先ほどの七海、という男が原因らしいことは分かった。警察と協力関係にある、という言葉に嘘はないのだろう。
「オカルト、ねぇ」
にわかには信じがたいが、さて。
「……お化けより、結局人間のほうが怖いと思いますけどね」
まとわりつく黒い影の輪郭がわずかにぶれる。しかしそれを視認できる人間は残念ながらその場には存在しなかった。
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