その白を傍らに添えて

side-b

「あ」
ドス黒い血、慣れた鈍痛。それは実に、3ヶ月ぶりのことだった。





伏せられた白いまぶた。細い肩から腕に、胸に流れる漆黒の髪。レースをふんだんに使った白いドレス。ソファにもたれて眠るそれは、よくできたビスクドールのようだった。
アルファードに半ば無理やりにつれてこられたユリシーズ・ベルは、それを食い入るように見つめた。
つい先ほど、ユリシーズの友人は、どこか慌てた、というか困惑した様子で現れ、有無も言わせず彼の腕を引っつかんで杖を一振りした。
バチン、と姿現し特有の音がして、目の前に広がるいつきても変わりばえのしない風景から、そこが友人の家だと容易に知れた。否、見慣れない上にものすごい異質さを放つものもあったわけだが。
アンティーク調に統一された室内に、その人形は良く似合っていたけれども、そこが30代独身男性の部屋だという事実の前では異様、というしかないだろう。
「………」
思わず指をさして口をパクパクさせるユリシーズに、アルファードはその腕を引いて半ば引きずるように書斎へと向かった。
アルファードが杖を一振りすると、机の上に紅茶が二人分。
ユリシーズはとりあえず落ち着こうとそれを一口。
そこでようやく台詞らしい台詞を口にした。
「アルファード、お前にそんな趣味があったなんて知らなかったぞ…いったいどこで買って…いやかどわかしてきた?」
「違う!」
自身も口に運ぼうとしていた紅茶をダン!と机にたたきつけ、間髪いれずにアルファードが否定する。
その勢いで紅茶がわずかにこぼれ、机をぬらした。
どうやらお互いにあまり平静とはいいがたいようだ。もう一口紅茶を口に運んで、ユリシーズは息をゆっくりと吐き出した。
「…で、さっきのあれは何だ」
「何、と言われても返事に困るのだが…強いていうなら3ヶ月ほど前にノクターン横丁で拾った野良猫だな」
行儀悪く頬杖をついたアルファードが憮然とした表情で答える。彼にしては珍しいことだ。
何がと言えば、頬杖をついたり曖昧に言葉を濁すことが、だ。
「…拾ったって…犬猫じゃないだろうに」
はぁ、と呆れたように溜息をついてやれば気まずそうにそらされる視線。
大抵問題を起こすのは学生のころからユリシーズのほうだったので、この状況は奇妙だった。
「マグルか?」
「いや…そうだな、マグルかもしれない」
「どっちだよ」
「仕方がないだろう…あまり言葉が通じないんだ」
一瞬の沈黙。
ユリシーズは頭の中でアルファードの言葉を反芻した。
「…それはまた厄介な」
「あまり話せないと言ったほうが正しいかもしれんがな。ゆっくり簡単な言葉で話してやれば理解できるようだ。マグルという単語を知らない時点でマグルかもしれんが、他の単語も平等に分からないようだからはっきりしないな。
ただ…魔力を感じるときがあるから、魔法は使えるかもしれない」
「…それはまた厄介な」
アルファードはあまり他人と係わり合いを持ちたがるほうではないし、面倒ごとを好んで背負い込むこともない。
それは本人のもともとの気性なのか、彼の背負うブラック家の血筋のせいかは分からないが。
だから、話を聞けば聞くほど驚かされる。
きっと、彼女が幼い少女でなければさっさと放り出されていただろう。なぜなら彼はフェミニストだから。
フェミニストって言えば聞こえはいいけど、これだけ顔がいいとただのたらしだよな、とユリシーズは女性のように整ったアルファードの顔を見つめた。
癖がなく艶のある黒髪。白い肌。
知らず溜息が漏れた。これで30を越しているというのだから世の中間違ってる。
「…まぁいい。それはおいといて。俺を無理やり引っ張ってきた理由をいい加減教えて欲しいものだね。あんまり遅くなると奥さんに怒られるし」
わざとらしく肩をすくめてやると、本題を思い出したのかアルファードの顔がわずかにこわばった。
「それは…」
珍しくアルファードが言葉につまる。いつも無表情な奴だが、今はどこか困ったように眉根を寄せていた。
よほど言い辛い事なのだろうか? 
ユリシーズはいつにない友人の姿に、じっと押し黙った。
しばらくの沈黙の後、意を決したようにアルファードが口を開く。その頬が少し赤いような気もしたが、それよりも、いつもはまっすぐに向けられる黒い双眸が右に左に揺れていることの方に意識がいった。
「正直、小さい子供の扱いなど…まして女の子の扱いなど分からん。いままでそいういう機会もなかったし…」
「まぁ、そうだろうな」
「…そ、それで、こういうことはお前のほうが詳しいんじゃないかと思ってだな」
いまいち要領を得ない話し方にユリシーズは眉根を寄せる。アルファードは何事も、要点を分かりやすくストレートに伝えるタイプだ。
それゆえに言葉がきつくなってしまう時もあるわけだが、ユリシーズは彼のそんなところが気に入っている。その彼が、まるで察してくれと言わんばかりにお茶を濁していた。
「こういうこと…って女性の扱いならお前のほうが得意だろう」
「いや…そうじゃなくてだな…つまり」
「つまり?」
「…………………………………………初潮がきたみたいなんだ」
今まさに飲み下そうとしていた紅茶を盛大に拭きそうになり、ユリシーズは掌で口を押さえた。おかげで目の前に座るアルファードに吹きかけるという恐ろしい事態にはならずにすんだわけだが、激しくむせた。
「ごほっ…ごほっ!…お、おま、」
「とりあえずおちつけ」
誰のせいだ誰の。
なんとか呼吸も整えるも、気管の奥に違和感が残る。油断したらまたぶり返しそうだ。
「馬鹿だろうお前!そんなもの僕が詳しいわけないじゃないか!ていうか詳しい男のほうが少ないだろ!」
学生時代の名残で一人称が俺ではなく僕になってしまった自分を誰が責められよう。というか、アルファードは自分のことをどういう風に見ているのか。
「だいたい、それならわざわざ僕を連れてこないで僕の奥さんに頼めばよかったんだ!」
妙な恥ずかしさもあいまって、早口でまくし立てたユリシーズの言葉に、アルファードはなるほどと言わんばかりにぽんと手を打った。
「ポンじゃないよまったく!」

結局再びユリシーズの家に戻り、彼の奥さんに事情を説明し、男2人呆れられながらも快く引き受けてもらったのだった。