逃げ水-22-

ゆさゆさと体をゆすられて、ようやくカカシは目を覚ました。
黒いガラス玉のような瞳がカカシを見下ろしている。
部屋は、どこか薄暗くいまいち時間が把握できない。
なにか、懐かしい夢を見ていた気がする。
外からは微かに雨音が聞こえた。


「カカシ先生、起きてください。遅刻しちゃいますよ」
夢の中よりは頬の丸みがとれ、声も低い尚樹に、ずいぶん大きくなったもんだよねぇ、とその頭を乱暴になでた。
性格に関しては今も昔も大差ないが。あと、方向音痴も。
ようやく起き上がったカカシに、尚樹が出かける準備をするようタオルや着替えをこまごまと用意する。
他の人間に見られたら、どっちが保護者だと言われてしまいそうな光景だ。
五代目に何か言われているのか、尚樹はこうしてカカシが遅刻しないよう毎朝世話を焼いているわけだが、勝率は低い。
のろのろと身支度を整えて台所へと顔を出したカカシに、尚樹が温めたばかりのみそ汁をよそって、ご飯やなんやらと一緒にお盆の上にのせてカカシに渡す。
それを受け取りながら、そういえば料理も上達したよなあと夢の余韻を引きずっていたカカシは、きれいにいちょう切りにされたみそ汁の中の大根に視線を落とした。

「あ、そう言えばカカシ先生、俺今度の任務がちょっと長そうなんで、2、3日留守にしますね」
「……ああ、わかったよ」
昔はほとんど忍術も使えず、アカデミーを卒業できるかも怪しかった子供は、表向きは下忍だが驚くことに今や暗部。
世の中、何がおこるか分からないものだ。
まあもっとも、今でもたいした忍術はできないわけだが。
分身の術はとうとう使えないままで、一番お得意の術は変化の術というのが笑える。
本人は下忍としての任務も嬉々としてこなしているようで、むしろ仕事を分配する方がDランクの草抜きやペットの世話・捜索をまわすのが気が引けるくらいだという。
下忍としては異例の一人っ子セルだが、暗部としての任務の方が比重が重くスリーマンセルでは都合が悪い。
担当教官であるゲンマからは、たまにはナルトや他の下忍のようにDランクの任務に不満の一つもこぼして欲しい、と言われてしまったくらいだ。
なんというか、外見は変わっても根本的には変わらない子だと思う。
「俺が帰ってくるまでの鉢植えの水やり、お願いしてもいいですか?」
「……朝、だったよねそれ」
「はい。俺がいない間も、ちゃんと朝起きてくださいね?」
それができれば苦労しないんだけどね、と遅刻常習犯のカカシは静かにみそ汁をすすった。
もちろん、まがりなりにも忍者だから起きれることは起きれるのだけれども。
何も進んでそうしたくないというだけの話で。
部屋の隅に置かれた濃い緑色の葉をたたえる観葉植物はもうずっと前から尚樹が育てているもので、カカシの素っ気ない部屋に彩りを加える唯一のものだ。
尚樹が暗部の任務で家を空けるのは珍しい。
本来は暗部と言えど3、4人で任務をこなすが、尚樹の場合は単独が多く、任務内容もほとんど暗殺に限られる。
尚樹が単独任務をまかされる理由は至極単純で、どういうわけかその方がはやいから。
当初、体術も人並みと思われていた尚樹は、ただ単に手加減が苦手なためにまわりに遅れをとっていたことが分かり、本人の希望もあって手加減無用と思われる仕事が回ってくる。早い話が暗殺だ。
いったいどうやっているのか、時間がかかると思われる任務もたいてい1日でこなしてしまうので、あまり喜ばしいことではないがその方面では重宝されているようだ。
その尚樹が2、3日かかるということは、よほど難易度の高い暗殺か、あるいは全く別の任務か。
おそらく後者だろう、とカカシは当たりを付けた。
今までの経験から、尚樹にたいしてあまり難易度は関係ない気がしているからだ。
「めずらしいね、2、3日とはいえ家を空けるなんて」
「はい。今回は4人でやるんだそうですよ。まだ内容は知りませんけど、暗殺ではないみたいです」
一人の方が気楽でいいんですけどね、と尚樹が小さくため息をついた。
「まあ、たまにはいいんじゃない。」
「うーん……でも俺、一人だけ弱いから足ひっぱっちゃいますよ」
本気でそういっているらしい尚樹に苦笑が漏れる。仮にも暗部なのだから、弱くはないだろうに、と。
忍術に長けていないからそんなことを言うのだろうが、本当に弱ければ難易度の高い任務など回ってこないというのに、相変わらず馬鹿な子だ。
ごちそうさまでした、と二人そろって両手をあわせる。手際よくテーブルの上を片付けていく尚樹を尻目に、カカシは新聞を開いた。
めぼしい記事だけを斜め読みしていく。今日も特に目立った事件もなく、表面上は木の葉も平和だ。
食器のぶつかり合う音と、水の音が台所の方から聞こえ、ようやく先ほどの夢の名残がさめてくる。
台所をのぞけば、そこには確かに成長した姿の尚樹が立っていた。
腕には、自分と同じ刺青。暗部である消えることの無い証。
横に並んで布巾を手に取り、尚樹が洗った食器を拭いていく。
「一人じゃないなら今回は夜一さんはおいていくの?」
「うーん……一応そのつもりです。いざとなったら口寄せできますし」
単独任務のときは、帰ってくるどころか目的地に行き着けないので、いつも忍犬よろしく黒猫を引き連れていくのだ。
ある種夜一も木の葉に貢献していると言っても差し支えないだろう。
最後の食器をカカシに渡して、尚樹が水道の水を止めた。
先ほどまでかき消されていた雨音が戻ってくる。

「気をつけて行っといで」
「はい、いってきます」


とりあえず「逃げ水」はここでいったん終わります。
また隙を見て我愛羅とか自来也とか……よ、四代目とか絡みたいのです。