危機的日常

「ねぇ、ゼタ…君、結構稼いでるそうじゃないか」
「………どこからそんな情報を仕入れてくるんだお前は…」
仕事帰りに厄介な拾い物をした通行人A。彼は今自分の前で微笑む幼馴染にひしひしと嫌な予感がしていた。
彼の幼馴染は小さな孤児院の院長で、厄介な拾い物を引き取ってもらうべく家にも帰らずに通行人Aは足を運んだのだ。だというのに。
「実はさぁ…今ちょっと満杯なんだよね…」
通行人Aはその言葉を聞くやいなやくるりと踵を返した。しかし向こうもそれは予想範囲内だったのかすばやく肩をつかまれる。
正直、肩の骨が砕けるかと思われるほどの力で。
一般人であるはずの彼は、正直裏の人間よりも怖い、と思う瞬間が多々ある。念など存在も知らないだろうに、この握力。しかもまだ全然力を入れてないのだ。解体屋ジョネスなんて目じゃない。本気で。
「僕の話、聞いてるよね?」
「…ああ…」
「別にね? 子供嫌いの君に子供を引き取れなんてそんな鬼のようなことは言わないよ。ただちょっと…空きが出るまで預かって欲しいなぁ…なんて思ってるくらいで」
大して変わらないじゃないかと通行人Aは頭を抱えたくなった。
「いや、無理。無理だって。俺は仕事で忙しい」
「そう、ゼタならそう言ってくれるって信じてたよ。ありがとう。空きは3ヶ月くらいで出ると思うから。悪いね。さ、尚樹君とかいったね。そういうわけだから、本当に申し訳ないけどしばらくこの怖いおじさんところにいてね。空きが出たらすぐに迎えに行くから」
「お前人の話聞いてたか?」
1人だけで話を完結させてしまった幼馴染に、通行人Aはこめかみをぴくぴくさせた。
いきなり話を振られた子供もいささか困惑しているようだ。
「とにかく、俺はガキの面倒なんてごめんだから」
な、と続けようとしたところで後頭部に激しい衝撃を感じた。それと同時にスパンと小気味良い音が響く。
「ハリセンなんてどこに隠し持ってたんだお前…」
地味に痛い後頭部を撫でさする。
「はい、尚樹君。おじさんに挨拶してー」
「え、え、あの…そこまで面倒見てもらうわけには…」
「ほら見なさい、ゼタ。君がそんな態度だからこんな子供に気を使わせちゃったじゃないか。まったくマダオなんだから…」
いやむしろ気を使わせたのはお前だ、と思いながらも次はどんな攻撃が飛んでくるか分からないために沈黙。
「大丈夫だよー尚樹君。ゼタはお金持ちだからね。大判小判がざっくざくだから」
少年に超絶笑顔で話しながらも通行人Aに向けられた背中からは「さっさと引きとんらんかいボケェ」という真っ黒なオーラが漂っている。
通行人Aは大きな溜息をついた。
「自分の面倒は自分で見ろ。俺に面倒かけたら…追い出すぞ」
間髪いれずにスパン!と殴られる。
「こんなおじさんのいうこと気にしなくていいからねー。まったくゼタも…大人気ない」
「いえ…えっと、大丈夫です。あの、よろしくお願いします」
ぺこりとお辞儀をした少年に通行人Aは「俺は子供が嫌いなのに…」と遠い目をした。


帰ってくるなり目の前に仁王立ちになった幼馴染に、ゼタは顔を引きつらせた。
子供を引き取って約1ヶ月。予想以上に手のかからない子供に安堵していた矢先のことだ。
超絶笑顔ではあるが明らかに怒りのオーラをはなっている幼馴染に、ゼタは沈黙した。
「やぁ、お帰りゼタ。ずいぶんと遅かったね」
「…そうか? いつもこのくらいだぞ」
「へぇ………いつも。ねぇ君、聞けば4日前から留守にしていたそうじゃないか。その間、尚樹君の世話は誰がしてたの? もちろん、誰かに頼んでるよねぇ?」
「いや…だが、1人で平気だろう?」
ごすっと鈍い音が響く。あまりの鈍痛にゼタは幼馴染の手に目をやった。そこには、黒光りする物体。
「な…おま、金槌って死ぬぞ!本気で!」
「大丈夫だよ、君なら。丈夫だけがとりえでしょう? それに目いっぱい手加減したし?」
絶対に嘘だ、とゼタは殴られた箇所をさする。
「おい、軽く陥没してるぞこれ」
「あはは、心配しなくても…そのうち腫れてくるから」
「なお悪い!」
抗議の声を上げたゼタは、幼馴染の目が笑っていないことに気付いてそれ以上の言葉を飲み込む。彼が笑って怒るときはかなり危険度が高い。
本気で殴られたら、堅をしていても頭蓋骨を砕かれる確信が、ゼタにはあった。
「さて…ゼタ君。僕が何故怒っているか、分かるかな?」
頭の悪い子供に言い聞かせるように幼馴染が口を開く。ゼタはおとなしく首を横に振った。
「そう………じゃあ頭の悪い君に教えてあげよう。
まずね、子供嫌いな君に尚樹君を預けた僕にも非があるとは思うよ? 
でもさぁ、引き受けたからには少しくらい面倒見てやっても良いと思わない? 
なにもね、絵本を読んでやれとか遊び相手をしてくれなんていってないわけ。君にそんな高度なことは求めてないし。
つまりね、最低限1日3食与えるくらいはやってくれても良いんじゃない? ってこと」
はやし立てるように嫌味ったらしい口調で一気に言い放った幼馴染に、ゼタはわずかに後退した。
「…やってるぞ?」
「君が家にいるときはね。さて問題…君がいないときは誰が食事をさせてたんでしょうか?」
「…自分で食うだろうそのくらい」
ガキじゃあるまいし、といったゼタに幼馴染が金槌を振り上げた。
それを紙一重で避けたと思ったゼタはすばやく軌道修正されたそれに再び頭を強打される。
狙ったかのように寸分たがわず同じ場所だ。狙ったかのように、ではなく狙ったのだとゼタは確信した。
「とりあえず、今日のところは僕が外で食事を取らせておいたから。
それと、どうせ洋服なんてろくに買ってやってないんだろ? お下がりで悪いけどこれ、尚樹君に」
どん、と紙袋を床にうずくまるゼタの前に置いて、幼馴染は視線を合わせるように膝を折った。
「僕の言ったこと、分かったよね、ゼタ。また様子見に来るから、そのとき尚樹君が今より痩せてたら…今度はその空っぽの頭、頭蓋骨ごと陥没させるからね」
にっこりと笑って金槌をちらつかせながら言う幼馴染にゼタは顔を引きつらせた。素直に首を縦に振っておく。
それを確認した幼馴染は立ち上がり溜息をついた。
「言っとくけど、10歳前後はガキだからね。
ついでに、むかつくから黙っとこうと思ってたんだけど、教えてあげるよ。尚樹君に君のこと聞いたら”稀に見るいい人”だってさ。参っちゃうよね。むしろ稀に見るダメな男で、略してマダオだと僕は思うけど」
そうやって言いたいことだけ言って嵐のように幼馴染は去っていった。
嵐が去った後もゼタはしばらくその被害のために床にうずくまる。幼馴染の言葉どおり陥没した患部はだんだん腫れてきたようだ。
冷やすか、と立ち上がったときに店のカウンターに座り込む小さな背中が目に入る。別にゼタが頼んだわけではないが、暇なのか、大抵子供はそこにいるようだった。
「尚樹」
名前を呼ぶと、大して大きい声ではなかったのにもかかわらず、子供はカウンターの椅子から降りて家の中に入ってきた。
小走りでよってきた子供は、後姿では分からなかったが、確かに以前より痩せているような気がした。
「お帰りなさい、ゼタさん」
迎える言葉は抑揚がなく、顔は無表情だったが、自分を見上げる瞳はうつろではなかった。
その瞳に子供らしい純粋さと、自分への絶対的な信頼の色を見てしまったゼタは先ほどの幼馴染の言葉を反芻した。
お世辞にもいい人とは言えない自分をいい人と言い切った少年。冗談かと思っていたが、どうやら本気らしいことをゼタは悟ってしまった。
「尚樹…」
「はい」
「お前、知らない大人に着いていったらダメだぞ」
何よりも先にそんな言葉が口をついて出てしまったのは、仕方のないことだろう。