流星群

それはアレンを拾うもっと前の話だ。
10年近く側に置いた少年は、馬鹿弟子と違いその身にイノセンスを宿してはいなかった。親はと尋ねれば無言のままに首を横に振った。
言葉がわからないのか、最初は話しかける言葉に対して首を傾げるばかりだったが、ある日突然理解した様に言葉を発した。
ずっと、言葉を追うように目を凝らしていたのは、理解するためだったのか否か。それからも、少年は自分が話す時はまっすぐにその黒い瞳を向けて、言う事を良く聞いた。
とても手のかからない子供だったし、手のかかる子供でもあった。
自分の身ぐらいは自分で守らせるかと仕込めば覚えもよく、家事も一通り出来る。
イノセンスを持たない子供をいつまでも側に置くのは危険だと思いつつも10年も一緒にいたのは何故か。
それを考えると今でも顔に苦笑が浮かんだ。
アレンを教団に向かわせた後、あれはどうしているだろうかとクロスは目を閉じて口元を歪ませた。



黒いコートを羽織った人間よりも、白い服の人間が目立つ。彼らはファインダーといって、自分達エクソシストのサポートをする人たちらしい。
神田と睨み合うアレンの横で、我関せずと食事をとっていた少年がふと顔を上げてアレンをとらえた。よくもまぁ隣であんな暴言を吐かれて、こうも平然としていられる、と感心とともにその顔を見下ろす。唇がゆっくりと動いた。
「ねえ」
「え、あ、はい」
これ、もらって良い? とみたらし団子を指差した彼に、思わず首を縦にふった。ありがとう、と無表情のままに礼を述べて、伸びてきた手がそれをひと串手に取る。もそもそとそれを口に運んだ少年に、思わず神田もアレンも停止した。
団子を一つ嚥下して、その視線が再びアレンに戻る。
「あ、気にせずどうぞ、続けて」
わざわざ箸を使って串から団子をはずして食べる少年にあっけにとられていると、がたん、と神田が腰を下ろして不機嫌そうな顔で食事に戻る。
すでに食堂は先ほどの喧噪を取り戻していて、アレンだけがその場に立ち尽くしていた。

「師匠の!?」
唯一と言って良い、神田と親しげな人物。白いつなぎを着た彼が、自分と同じクロス師匠の弟子だと、コムイは確かにそう言ったのだ。
まだ言葉を交わした事はあの一度しかないが、なんだか妙な親近感がわいてくる。きっと彼も想像を絶する苦労をしたに違いない。
思い出せば思い出すほど目頭が熱くなる行いの数々。
「彼の名前は?」
「リュークだよ。神田君と違って人見知りしない子だから、気軽に話しかけてみると良いよ」
「分かりました」
リューク、と彼の名を心の中で繰り返して忘れない様にする。勝手な想像だが、彼とは話が合いそうな気がする。あの人でなしを師にもった者同士として。
「ああ、そうだ。彼は10年もクロスと一緒にいた強者だよ」
「10年!?」

ここ最近姿が見えないとは思っていた。だから、きっと任務に出ているのだろうと。
だが、コムイに確認してみたら軽く、その辺で迷ってるんじゃないかなぁと言われてしまった。そんな事で良いんだろうか。眉をひそめると、コムイが初めてじゃないから、と手を振った。それにますます首を傾げる。
まあ、そのうち分かるよ、と言ったその言葉を、数分後に理解する事になる。
「なんてところから入ってくるんですか……」
廊下の窓からするりと入ってきたつなぎ姿に、アレンは驚きつつも呆れてしまった。一体ここを何階だと思っているのか。
「あ、アレンだ。ねぇ、これから化学班に行く?」
「え? いえ」
むしろ今化学班から戻る途中だ。アレンの言葉にそっか、と肩を落としたリュークはきょろきょろと左右を見渡して何かを探している。
それに首を傾げて、アレンもつられる様に周りを見渡した。ちょうど見えた影に、げ、と声をあげたアレンとは対照的にリュークが声を上げた。
「神田!」
そばまで走りよって、これから化学班に行く? と同じ質問を繰り返した。呆れた様にため息をついた神田がきびすを返して、ついてこい、と短く言い放つ。
またね、と無表情のままにアレンを振り返ったリュークに手を振って、つまりあれが方向音痴と言うやつかと、アレンは一人納得した。

「あー、ちょっとどこ行ってたのさ!」
化学班に足を踏み入れた神田とリュークにコムイが声を上げた。それに神田は顔を険しくする。
全く心当たりがない、ということはこいつか、と少し後ろをついてきていたリュークを振り返る。
度の過ぎる方向音痴という性質を持つリュークは、ここに来て5年も経つと言うのに、いまだ化学班に一人で来る事が出来ない。
いや、訂正しよう。化学班にも来る事が出来ない。
「どこって、クロスさ……元帥の所ですよ。イノセンスを回収に来いって、呼ばれたので」
後ついでに借金の返済とか、ご飯とか洗濯とか、色々してたら遅くなりました、と斜にかけていたバッグをリュークがコムイにさしだす。つまり、このどこからどう見ても普通のバッグの中に、イノセンスが入っていると。
おもわず自分より低い位置にある頭にげんこつを振り下ろす。
年上だとか、そういうことは神田の頭からとっくの昔に吹き飛んでいる。
「いいった……なに、いきなり。方向音痴になっちゃうよ?」
「最初からだろ」
「いや、昔はここまでひどくはなかったはずなんだけど……」
思案する様に首をひねるリュークに考えるだけ無駄だろうと眉間を押さえた。

「ていうかリュー君、クロス元帥に会ってきたの?」
「はい」
当たり前の様に首を縦に振ったリュークの肩にコムイは両手をのせて激しく揺さぶった。かぶっていたフードがはらりと落ちる。
「どうして教えてくれなかったんだよー!? あの人なかなか掴まらないんだから、絶好のチャンスだったのに!」
「……ってコムイさんが言うと思うから、今すぐ黙って来いって言われました」
「リュー君のバカー!」
やっぱりまずかったですか? と大げさに泣き崩れるコムイを慰める様にしゃがみ込んで帽子の上から頭を撫でる。一体どちらが年上なのか迷うと言うか、どちらも成人している様には見えないと言うか。
「で、クロスはどこに居たんだい?」
「それを俺に聞くんですか?」
「だってクロスの所までいったんでしょ?」
はぁ、まぁ、と煮え切らない返事をして、大変言いづらそうに少年のようななりをした推定25歳児は口を開いた。
「……あ、あっち?」

「クロスさん」
すぐ後ろからかかった声に、クロスは内心で驚きながらも、それを表情に出す事なくゆっくりと振りかえった。見下ろす位置に白いつなぎ姿。かぶったフードの下から乾いた黒い瞳がのぞいていた。
連絡を入れたのはついさっきなんだがな、と相変わらずすぐに自分の元にやってくる子供の頭を撫でる。子供、といっても子供だったのは昔の話で、今はもう成人している。
あまり大きくならなかった体はいつまでも少年のようだ。
「……とりあえず、飯でも食うか。オイ、なんか作れ」
「何が良いですか?」
「……オムライス」
了解です、と頷いたリュークが歩き出す。そっちじゃないとその手を引っ張って、市場の方に足を向けた。ここまで見事な方向音痴のくせに、場所を教えただけですぐに姿を現す。はじめから戦い方を知っていた事と良い、おそらく普通の育ちではないのだろう。
はじめの頃はそれこそイノセンスの適合者なのでは、と疑っていたのだが、エクソシストとしての素養は低く、高い確率の咎落ちが予想された。
自分と似ていながらも、決定的に似ていないのは、その感情をはさまない、ときに外道とも取れる精神構造だといまだ自分より小さい手をひいた。

初めて手にした銃は、想像したものよりもずっとその重みを主張した。スコープをのぞくとずっと先まではっきりと見える。
もともと視力は良い方だが、眼鏡をかけたらこんな感じだろうかと、的外れな事を考えた。
「十字の線が見えるか」
「はい」
「それで照準を合わせたら、呼吸に合わせたタイミングで引き金を引け」
息を止めるなよ、と頭上にその声を聞きながら、尚樹はスコープの中に標的を収めた。
まぶたは無意識に静止し、睫毛さえゆれない。僅かに広くなった瞳孔に、クロスは確信した。
はじかれた標的に、響く銃声。
「おまえ、もっと練習すれば狙撃の名手になれるぞ」
「……ビギナーズラックでは」
「お前にはイノセンスがないんだ。安全圏から攻撃出来る狙撃は、これから先必須になるだろうよ」
才能は申し分ない。その後一発もあてる事の出来なかったリュークに、クロスの確信が速くも揺らいだのはここだけの話である。

自分の周りのアクマが一体二体と減っていく。やっぱりこいつとの任務はなんだかんだで楽だ、と神田は口元に笑みを浮かべた。
六幻を鞘にしまう。残念ながら、今回の任務ではイノセンスは回収出来なさそうだ。
ざり、と地面を踏む音。前を開けたままの白いつなぎの中から黒いTシャツがのぞいている。大きめのフードで顔はほとんど隠れていた。
背中を丸めてダルそうに近寄ってくるのは、今回同行しているファインダー。神田が名前を覚えている数少ない人間だ。
「オイ、あんまり目深にフードかぶってると転ぶぞ」
「平気、地面見て歩いてるし」
「前を見ろ、前を」
すぐそばまで近づいて立ち止まったリュークが顔を上げる。ようやくその瞳が見えた。
フードが不自然に動いて、その中から黒い猫が顔を出す。ゆるりと動いたしっぽにリュークが肩をすくめた。
お互い唯一日本語でやり取りをする人間でもある。リューク、というその名前が、日本人にしては珍しいと、神田は常々思っていた。どうでも良い事だが。
「今回のは無駄骨だったな」
「ああ、イノセンス? まあ、あたりの方が少ないよ」
良いじゃない、アクマの数が減ったんだし、と興味なさそうに言って、歩き出したリュークに、お前は一体どこに行くんだとため息をついた。
これさえなければ。

肩越しに伸びてきた手が、コーラを掴もうと震える。背中にのしかかる重みに、リーバーは手を休めた。
「リーバーさん、コーラとって」
「俺のだっつってるだろ」
仕方ねーなー、とその手にコーラを握らせてやる。肩に顎を乗せてストローをくわえたリュークが、嚥下するのが振動で伝わる。
「お前またここに入り浸ってんのな」
「んー、まあ、仕事ない時は雑用係ですから」
口元に持ってこられたストローを口にくわえる。喉を通過する弱々しい刺激に、炭酸抜けてんな、ともはやほとんど砂糖水に成り下がったそれを飲みほした。
「新しいの、貰ってきてあげる」
イスから立ち上がったリュークが空になったそれをゴミ箱に投げ入れる。いつ見てもすばらしい命中率だ。いや、今はそれよりも。
「そっちじゃねーぞー」

両手いっぱいに持っていた書類や資料がふっと軽くなる。隣に立つ白いつなぎ姿に、すぐに相手がリュークだと分かった。
「ありがとう」
「どう致しまして。リナリーさんご飯食べて来たら? 後は俺やっときますよ」
「リュー君は?」
「俺はリーバーさんと食べにいくから」
リュークの肩に乗った黒猫が黄色い虹彩をリナリーに向ける。もうとっくに成人しているというのに、彼はいつまでも少年のようだ。自分と変わらない年の様に見える。神田の方が年上に見えるくらいだ。
彼が自分に対して敬語を使うから、余計そういう風に見えるのかもしれない。でも、初めて会った頃は、確かに彼の方がお兄さんで、どこか頼りないその存在がわけもなくリナリーを安心させた。
今ではもう背丈もほとんどかわらなくなってこうして肩を並べる様になったが(彼が猫背なせいかもしれない)、やはりリナリーにとっては今も昔も頼りないけど頼れるお兄さんだ。
「リュー君大好き」
「リナリーさん今の会話の一体どこに怒る要素が……」
「リュー君、ちょっとボクの部屋に来てくれるかなぁ?」
間髪入れずに声をかけてきたコムイに、はいはい、と気だるげにリュークが返事をする。リナリーとしては別に怒っているわけではなく、日頃の感謝と好意を素直に伝えただけなのだが。
どうにも過保護な兄はリナリーにちょっかいをかけたり、リナリーが好意を寄せる相手に対して手厳しい。
コムイの部屋に足を向けたリュークに苦笑して、リナリーは今の大好きは親愛のそれであって、LOVE的なものではないと伝えるためにその背中を追った。

眉間を狙う。標的は動き回ってはいても、レベルの低いアクマだから動きが単純。
ターゲットの呼吸に自分の呼吸を合わせる。トリガーを引いて別のアクマに照準を移す。立て続けに6発打った。銃弾の軌道は追っていないので命中したか否かは不明。
すぐに念で場所を移動してライフルを構える。
いつも、場所がばれない様に気をつけろ、とクロスに言われているので、こまめに移動する事にしていた。
スコープでターゲットに照準を合わせる。一発打って肉眼でそれが倒れるのを確認した。
すでに辺りにアクマの気配はない。さすがクロスさん、と感心して、手早くライフルを解体し、ケースにつめてからう。
念を使って近くまで移動した。
ずいぶんと風通しの良くなった場所に足をつく。その足音にクロスが振り返った。
「お疲れさまです」
「……ああ、お前は本当に本番に強いな」
「そうですか?」
「実践だとはずさないだろう」
「ああ、ちゃんと当たってました?」
「見てなかったのか?」
「まあ、打った後のことは基本的に」
打ってしまった後の弾道など追ったところで、何もできはしない。それならその時間を次にあてた方が効率的というものだ。
所詮自分は後方支援。外したからといって差し迫った危機があるわけではないし、そこは前衛が抑えてくれると信用している。
「イノセンスはありそうか?」
「んー……あっちのほう、ありそうじゃないですか?」
クロスの問いかけに、ふんわりとした回答。他の人間が聞いたら、何を根拠にと言いそうなところだが、慣れているクロスはリュークの指さした方を一瞥した。
理屈は分からないが、リュークは確信を持ってイノセンスの場所を口にする。疑問系で返ってくる言葉に特に意味はない。そこにある、と思うからリュークはあると口にするのだ。
彼とクロスの付き合いはすでに10年以上にもなるが、その間一度もイノセンスの在り処を外したことはない。

雪の深い街での事だ。
白い雪の上に存在を主張する黒い猫。クロスの足下にまとわりついて離れない。
蹴り飛ばそうとしてもひらりと身をかわす。
あきらめて抱き上げるとひどく震えていた。
「なんだ、拾って欲しいのか、お前」
その問いを否定する様につかんでいた手を蹴り飛ばして雪の上に着地する。ついてこいとクロスを振りかえりながら黒いしっぽを揺らした。
仕方なくついていくと、細い路地の暗がりに、子供の小さな体が見えた。白い雪に覆われながらも、黒い髪が存在を主張する。雪を払うと血の気のひいた白い肌。睫毛にまで積もった雪。
ひどく冷えた皮膚の下に、生きている人間の体温を感じた。見た所怪我をしている様子は無い。抱え上げると黒猫がクロスの後をついてくる。
歩くたびに雪が軋んで跡を残し、柔らかな雪がそれを消していく。少ない街灯に照らされた道を歩いた。それが始まり。終わりはまだ来ていない。


書きたいところだけ書いてるうえに細かいこと気にしてないのでゆるく楽しんでいただけると助かります……(;´∀`)
話の都合上名前変換ほとんどない予定。許してくだされ。
気が向いたら続く。