入手難度S

目の前に差し出された瓶に、尚樹は目をしばたたかせた。
今日は2月14日。
特にチョコレートを大々的に売り出している様子もなく、人々が浮き足立っている様子もない。
だからてっきりこの世界にはバレンタインはないと思っていたのだが。
まあ、普通に考えてこの世界にバレンタインさんなんていないか……とせっかくの書き入れ時を何もせず通常通りすごしたのだ。
しかし今目の前に差し出されているのは、まぎれもないチョコレートな訳で。
でも差し出しているのが男な訳で。
つまり……なんだろう。


いったいこれは何なのかと問うと、当たり前のようにチョコレート、と返ってきた。
「えっと……とりあえずゼタさんを呼んできますか?」
「いや、今日は奴に用はない」
「はあ……」
とりあえず、押し付けられた瓶を受けとる。一見すると、普通のチョコレートだが、付加価値は大きい気がしてならない。
気になったので一つ取り出してセロファンを解いてみるも、とくに変わったところはない。
まじまじと観察をする尚樹に、上から声が落ちてきた。
「少量だが毒が入っている。慣れるまでは1日3個までにしておけ」
「お返しします」
というか、なんで毒入りをくれるのか。いや、まあ彼の家庭はそれがデフォルトだろうけども。
「お前も少しは慣れておいた方がいいぞ」
「いやいやいやいや、慣れる前に死にますって」
マジで。
彼らはいいかもしれないが、尚樹は元々この世界の住人ではないのだ。果たして日々徐々にならしたからと言って、彼らのようになれるとは思わない。
「ゴトーの手作りだぞ」
「……うっ!」
不覚にも今ちょっと食べたくなった。
いやいや、冷静になれ、水沢尚樹。外見は普通でも中身は普通じゃないぞ。
「……1個食べて死ぬってことは……」
「1個あたりはかなり少ないからな。3個食べても致死量にはならない」
そ、それなら1個くらいは……ごくり。
誘惑に勝て切れずそれを口にしようと手を伸ばした尚樹をとめたのは、とても聞き慣れた声だった。
「シルバ、尚樹に変なものを渡すな」
ひょいっと、目の前からチョコレートのつまった瓶が取り上げられる。
上を見上げるとゼタさんとシルバさんが難しい顔をして対峙していた。
そんな二人の間に挟まれて、なんだかとても圧迫感。これは雰囲気がというわけじゃなくて、いや雰囲気もすごいけど、それ以上に2人とも念の使い手なのだ。
比喩じゃなく、圧迫死しそう。
身の危険を感じた尚樹は、ゼタのシャツの裾を引っ張った。
経験上、これが一番相手の気を引けるのだ。
尚樹の思惑通りゼタの視線がすぐに下に向けられる。それにつられるようにシルバも視線を下げた。
心無しか、念独特の圧迫感と言うか生温い感触が減る。
「2人とも、喧嘩は駄目なんですよ?」
「大丈夫、喧嘩じゃないぞ。牽制だ」
真顔で言い切ったゼタに、少し首を傾げつつも納得したのか、それならいいです、と今度はシルバに視線を向けた。
「……ゴトーさんが作ったんですか?」
「ああ、ゴトーに作らせた。お前用だからな、お前がくわないならゴミ箱行きだ」
「ええー」
台詞は棒読みだが困っているらしい尚樹に、シルバは重ねてゴトーの手作りという事実を強調した。
そう長い付き合いではないが、シルバは尚樹のツボと貧乏性を正しく理解していた。
一方うんうんとうなっていた尚樹は、体温で少し溶けてしまったチョコをどうにかしなければと、一瞬毒入りである事を忘れて口に放り込む。
甘い味が口の中に広がったところで、我にかえって自分の鶏頭加減に内心で打ちひしがれた。
「ああ、でも」
毒が入っているせいか、はたまたゴトーさんお手製だからか、すごくおいしい。
「……尚樹」
「すごくおいしいです、ゼタさん」
「くくっ……先が楽しみだな」
嬉しそうに顔を上げた尚樹に、ゼタは眉間を押さえ、シルバは満足げに笑ったのだった。


2個目に手を伸ばそうとする尚樹に、 シルバは1日3個までだぞ、と改めて釘を刺した。
すっかりその事を忘れていたのか、ぴたりと尚樹の指が止まる。
そして、いつもの無表情がゆっくりとシルバに向けられた。
「シルバさん……いったいそれはどんな焦らしプレイですか……ううー。体に悪いものはおいしいって、本当ですよね」
でももう1個、とひどく気軽にチョコを口にした尚樹に、花屋の店主が無言で瓶を取り上げた。
尚樹の背ではイスに乗っても届かない棚の上にそれを置く。思わず、お子様の手の届かない所に……という一般的な注意事項が頭をよぎって吹き出してしまったシルバである。